フリーズドライという言葉を聞くと、
多くの人は「保存食」「非常食」「長期保存」というイメージを持つと思う。
確かにそれは間違いではない。
でも、私自身はフリーズドライを別の視点で見ている。
それは、
フリーズドライは「保存するための技術」ではなく、
「価値を伝えるための技術」ではないか、という考え方だ。
生のままでは、伝えきれないものがある
日本には、世界に誇れる果物がたくさんある。
新品種も次々に生まれ、香り、甘み、食感、どれを取っても本当に素晴らしい。
ただ、その価値は
生のままでは海外に伝えにくい。
理由は単純だ。
- 生鮮品は日持ちしない
- 輸送時間で熟成が進む
- 香りや食感が変わる
- コストが跳ね上がる
とくに完熟果実は、日本国内ですら流通が難しい。
海外に届けるとなると、なおさらだ。
その結果、
「日本の果物は美味しいらしい」
という評価止まりで終わってしまう。
フリーズドライができること
フリーズドライは、生の果物の代わりにはならない。
これは、はっきり言っておきたい。
それでも、フリーズドライには
生とは違う役割がある。
たとえば、
- 品種特有の香りを残す
- 名前と一緒に世界へ届ける
- 常温で運べる
- 軽くて輸送しやすい
これは単なる加工ではない。
「この果物には、こういう香りと個性がある」
というメッセージを伝える手段だと思っている。
代替ではなく、翻訳に近い
フリーズドライを
「生の代わり」「妥協の産物」
と考えてしまうと、話は前に進まない。
私の感覚では、
フリーズドライは翻訳に近い。
- 生でしか伝わらないものもある
- でも、形を変えれば伝えられる価値もある
海外の人に、日本語のニュアンスをそのまま伝えるのが難しいように、
完熟果実の魅力をそのまま届けるのも難しい。
だからこそ、
伝わる形に変換する技術が必要になる。
フリーズドライは、その一つの答えだと思っている。
技術があっても、使い方を間違えると意味がない
日本は、優れた技術をたくさん持っている。
それでも、世界市場では主導権を失うことが多い。
理由はシンプルで、
技術を「どう使うか」を考える前に、守ることに力を使いすぎるからだ。
果物も、材料技術も、半導体も、
同じ構造を何度も見てきた。
フリーズドライも、
「保存できるからすごい」
で終わらせてしまえば、価値は広がらない。
フリーズドライは、戦略の一部
フリーズドライは万能ではない。
でも、使い方次第で意味が変わる。
- 品種のPR
- 海外市場での認知
- 将来の生鮮輸出への布石
- ブランド作り
こうした文脈の中で使えば、
フリーズドライは戦略的な技術になる。
技術は、人の意思で価値が決まる
フリーズドライ装置や真空凍結乾燥機は、
あくまで道具だ。
価値を生むのは、
「何を伝えたいのか」という意思だと思っている。
日本の果物が、
日本発のまま、世界で正しく評価されるために。
フリーズドライは、その可能性を広げる一つの選択肢だ。
参考リンク
フリーズドライ装置や真空凍結乾燥機について、
技術的な考え方や装置構成を整理した情報は、別途まとめているので、
興味がある方はそちらも参考にしてほしい。